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[[求助与讨论]] 编辑手帐(2007-05-11)-向田邦子

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发表于 2007-5-13 02:50:26 | 显示全部楼层 |阅读模式
作者:心香 | 来源:沪江部落

向田邦子さんが「花の名前」など三つの短編で直木賞に選ばれたのは1980年(昭和55年)の7月である。選考会では授賞を見送り、小説家としての実力を見極めようという声も多かった

向田邦子以《花的名字》等3个短篇获得直木賞是在1980年(昭和55年)7月。据说,评选会上很多人反对她获奖,并呼吁要弄清她是否具备作为小说家的实力。

山口瞳さんが強硬に異議を唱えた。「向田邦子はもう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ…」。風向きが変わり、授賞が決まった。山口さんが「木槿(むくげ)の花」(新潮社)に書いている

山口瞳提出强烈的反对意见。“向田邦子已经51岁了,是不可能活很长时间的呢……”于是,形势发生了变化,决定授予她直木賞。山口在《木槿花》(新潮社出版)一书中写了这件事。

満50歳といえば働き盛りだが、授賞見送り派を説得する方便として口にした年齢は、そのまま向田さんの享年となる。翌年8月、旅先の台湾で航空機事故に遭い、亡くなった

要说50周岁,正是人生的壮年时期,但为设法说服获奖反对派脱口而出的这一年龄,就这样成了向田的终享之年。第二年8月,她在旅行台湾途中遭遇空难身亡。

生誕の地である東京都世田谷区の「世田谷文学館」でいま、向田さんをしのぶ企画展がひらかれている。珠玉の随筆「父の詫(わ)び状」の原稿全24編をはじめ、生前の写真や遺愛の品々が展示されている

为缅怀向田,现在正在她的出生地、東京都世田谷区的“世田谷文学館”举办企画展,展示了极为宝贵的、随笔《父亲的道歉书》原稿全24篇等各种她生前的照片及喜爱之物。

電球に靴下をかぶせてほころびを繕う母。その手首にはいつも輪ゴムが数本…。誰もが目にしながら忘れていた家庭の情景をさりげなく書き留めた人だった。数少ない、あるいはたったひとりの、「戦前」の語り部であったろう

母亲把袜子罩在灯泡上缝补开线,她的手腕上总是套着几条橡皮筋……。向田把这些每个人司空见惯却早已遗忘的家庭琐事漫不经心地写了下来。她是为数不多的、或是唯一的、 讲述“战前”故事的作家吧。

随筆集の題名にあるように、山口さんは向田さんを木槿にたとえた。その花は朝ひらき、夜には凋(しぼ)む。世の中に死なれて惜しくない人などがいるはずもないが、その人はまた格別である。

正如随笔集的书名中所写的那样,山口以木槿比喻向田。这种花早上盛开,晚上凋谢。这世上应该没有人会对别人的死不感到可惜吧,而向田的死尤为可惜。
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