kouun 发表于 2007-6-28 22:41:45

日本文化知识互译2

七福神
幸せをもたらす七人の神を「七福神」といいます。中国の故事にならい、日本でも縁起の良い神を集めて信仰するようになりました。メンバーが固定され、人々の中に広がったのは室町時代だといわれています。この七福神ゆかりの神社を回って参拝する人は、現在も多く見受けられます。
メンバーは次の通りです。
①打ち出の小槌をもった大黒\天(田んぼの神様)
②鯛と釣り竿をもつ恵比寿(農業、漁業、商業の神様)
③弁財天(福と徳を招く女神)
④毘沙門天(財宝の神)
⑤鶴を従えた福禄寿(中国では南極星の化身といわれる)
⑥お腹を出し袋をかついた布袋(弥勒の化身)
⑦寿老人(長寿を授ける神様)
七福神
能带来幸福的七位神仙被称为“七福神”。仿照中国的故事,在日本还形成了将吉祥之神集中起来信奉的习惯。据说,其成员被固定下来,广泛流传到人们中间的是在室町时代。现在依然可以看到很多人巡回参拜跟七福神有关联的寺院和神社。
以下是七福神的成员:
①拿者锤子的大黑天(农田之神)
②拿者鲷鱼和鱼杆的惠比寿(农业渔业、商业、之神)
③弁财天(招福招德之神)
④毗沙门天(财宝之神)
⑤率领仙鹤的福禄寿(在中国传说是南极星的化身)
⑥挺着肚子背着袋子的布袋(弥勒的化身)
⑦寿老人(长寿之神)

おみくじ
神社仏閣にお詣りした際に、吉凶を占うために引くくじを「おみくじ」といいます。おみくじには総合運\として、大吉、中吉、吉、小吉、凶のいずれかが書いてあり、別項として、失せ物、商売、学問、健康、縁談などの運\勢が書いてあります。ふつうは、読んだら境内にある木に結びつき、願い事の成就を祈ります。
神签
在神社寺庙许愿,占卜吉凶时抽的签叫做“神签”。“神签”上写有大吉、中吉、吉、小吉、凶等项目中的任何一个,作为抽签者的综合命运;每个项目里写有有关失财、生意、学业、健康、姻缘等“运势的内容。通常,读完后,将签系到神社寺庙里的树上,就能心想事成。



暑中見舞い
日本の夏は高温達多湿で、体調を崩しやすい季節です。そこでこの時期、親しい人の安否を確かめ合う習慣を持つようになりました。これが「暑中見舞い」です。現在のようなハガキによる暑中見舞いは、大正時代からです。ハガキは、書中の時期である7月20日頃から立秋の8月7~8日までに送ります。その時期が過ぎると「残暑見舞い」になります。
暑期问候
日本的夏季高温多湿,容易得病。于是,就出现了在这一时期向亲人朋友问候的习惯。这就是“暑期问候”。现在这种用明信片来问候的方法是从大正时代开始的。明信片要在7月20日左右到立秋8月7~8日之间寄出。若过了这一时期则成为“残暑问候”。

名刺
名刺は日本のビジネス社会に必要不可欠なものです。名刺には自分の氏名・会社名と役職、会社の住所、電話番号などが記載されています。日本で名刺が使われたのは江戸時代の安政元(1854)年、米国使節と幕府の役人が交換したのが始まりといわれています。以降、欧米よりも名刺の交換は活発に行われています。
ビジネスを始まるにあたって、初めての挨拶は名刺交換です。連絡を取りたいときに便利なことはもちろんですが、記載されている役職名にも関心を寄せます。つまり名刺は、個人よりも企業や団体の肩書きに重きをおく日本社会を象徴しているからです。
名片是日本商业社会里不可缺少的东西。名片上记载着自己的姓名、公司名和职位、公司的地址、电话号码等项目。在日本,开始使用名片的是在江户时代的安政元年(1854),据说当时它始于美国使节与幕府要员之间的名片交换。以后,日本的名片交换比欧美国家都活跃了。
在做生意时初次见面的问候方式就是交换名片。名片当然为人们在想联系时提供方便,但名片上记载的职位名称也让人们寄予关心。因为名片是重视企业、团体头衔的日本社会的象征。

印鑑
欧米ではサインが重要視されていますが、日本では公式の種類を作る際または本人の証明をする際に、印鑑を使います。直径1~2cm程度の木または象牙、水晶などの小片に名前を刻み込んだもので、その面に朱肉を着けて書類に押します。
とくに指定された公文書には「実印」といわれる印鑑を押します。これは各人または法人が正式に登録してあるもので、偽造すると犯罪です。
ほかに本の愛好家が「蔵書印」を作ったり、芸術家が「遊印」を作って作品や色紙に押したりもします。

在欧美国家比较重视签字,而在日本,制作正式文件或证明自己身份的时候使用印。印是一种用木头或象牙、水晶制成的上面刻有名字的东西,直径约为1-2厘米,长度约为7-8厘米。在有名字的那面蘸上印泥就可以印在文件上。
特别是在指定的正式公文上要盖一种叫做“正式印章”的印。正式印章是个人或法人正式登记过的东西,对其进行伪造就是犯罪行为。
此外,书籍爱好者还刻有“藏书印”;艺术家还刻有“游印”印在作品和色纸上。



介護保険
高齢化社会に対応するために、2000年4月に導入されるのが介護保険です。介護が必要になったときに、在宅や施設サービスを受けることができるように保険をかけることが義務づけられます(満40歳以上)。労働人口より、リタイアした高齢者が多くなる日本では、身近な家族の介護によって生活するのが難しくなってきます。そのための保険ですが、実際、介護する側の人的手配や賃金など環境整備が遅れているのが現状です。
为应付高龄化社会,2000年4月推行了养老保险。为了让人们到了需要养老的时候能够在自己家里或专门设施里享受到服务,规定满40岁的人都有义务参加保险。在日本从劳动人口中退休出来的老年人逐渐增多,靠身边的亲属养老就变得困难起来。养老保险就是因为这个原因而设立的,但实际上,现在负责养老的这方在人员配备与报酬发放等方面的配套环节还很落后。

持ち家志向
戦前の日本は借家住まいが一般でしたが、戦後になって「いつか庭付き一戸建ての我が家を持ちたい」と願う市民が増えてきました。高度経済成長下での地価の高騰が拍車をかけ、庶民の持ち家志向は家庭生活の中心的な目標となっていきました。具体的には二階の一戸建て、瓦屋根、高い石塀の生け垣に囲まれた小さな庭に、自家用車のガレージのある家が理想とされています。しかし、近年、土地の価格では世界のトップとなった東京で、新しく持ち家を持つことは夢のまた夢となってしまったようです。
买房愿望
二战前的日本,一般都是租房,但是到了战后,希望“将来能拥有一栋属于自己的带庭院的楼房”的市民多了起来。由于在经济高速增长之下低价猛涨的推动,老百姓的买房愿望成了家庭生活的中心目标。具体说来,二层楼房,瓦制屋顶,庭院四周围着高高的石墙,配有私家车车库的房子被视为理想的房子。但是,近年,在土地价格升为世界第一的东京,买房子已经成了遥远的梦想。
页: [1]
查看完整版本: 日本文化知识互译2